〜〜 自由と責任・原因と結果 〜〜



自 由 と 責 任


人類は長い間「 自分たちの生活を豊かにしたい 」「 楽しい人生を送りたい 」とそればかりを追い求めてきた。世界中の人々が物質的な豊かさを求め、自由を求め、感情の満足を求め、その実現のために、地球上の多くのものを犠牲にしてきた。



そのような生き方を続けていけば、深刻な環境破壊問題として、現在の地球と人類が直面している状態に陥ってしまうことは始めからわかっていたはずである。容易に想像することは出来たことである。しかし、人々は自分たちの物質的欲望、感情の満足を最優先にしてきた。「人生を楽しむ」それが人生の基本となり、どんな時であってもそのことが第一優先なのである。



あとは、誰かがやってくれる。自分たちがする必要はない。自分たちは何もしたくない。責任を取りたくない、取る必要はない、生活が豊かになればいい、もっとお金が欲しい、生活を便利にしたい、遊びたい、楽をしたい、気楽に生きていきたい。



また、己の利益が最優先、地位や名声が欲しい、認められたい、成功したい、有名になりたい、注目されたい、称賛されたい、などが人生の第一の目的になっている人も多く、反対に、望むことと言えば、自分の家族が幸せであればそれでいい、何もいらない、他に興味はない、可もなく不可もなくただ生きていければいい、だけの人も多く存在している。



何を望もうと、何を選ぼうと、何を人生の目的にしようとそれは「自由」である。何事においても、常に「それは自由だ!」が根底にあり、そしてその「自由」を前面に出して生きてきた人類。「己の感情の満足のためだけの選択・言動・行動の自由」「口先だけの正論を吐く自由」「言うだけで、行動を起こさない自由」「責任を取らない自由」「無知なる傍観者であり続ける自由」「どういう生き方をしようと、それは自由だ」をはじめ、ありとあらゆることに「選ぶ自由」はある。



多くの人の考える「自由」には「責任がない自由」「自由だから責任はない」「責任がないから自由だ」「自由は楽しい、嬉しい」「自由は楽だ」といった意味を持っており、その人の選んだ自由の状態が永遠に続くと思っているのである。そう思うのもまた自由である。



ただし、その人が選んだ「自由」には、たとえどんなに小さなことであっても、その責任を取らなければならない「結果」が必ず出てくることを忘れてはならない。今直面している運命がその「自由」の結果であり、その「選択の自由」の結果なのである。



「自由」にしてきたけれど、この「結果」は嫌だ、苦しい、悲しい、辛い、こんなはずでは・・・ それだけはやめて欲しい! と懇願する運命になっても、人は生き方が変わらない。



最終的にはその全責任を取らされることになる。「自由には責任が伴う」のである。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」ことになる。良い種を蒔けば、それは何倍もの大きな喜びや希望の実を結んだ稲穂となり、自分で刈り取ることが出来る。






原 因 と 結 果


この地球上において、テクノロジーの進歩には目を見張るものがあり、科学技術、工業技術は発展に次ぐ発展を遂げ、私たちの生活はますます便利になった。また多くの分野で、それぞれの技術が飛躍的な進歩を遂げ、人間の生活を豊かにしてきた。そういった領域においては、人間の頭脳を最大限に発揮し、努力を惜しまず、知識の量を拡大させ、進歩をさせてきたのは間違いのないことであるが、では、人間側はどうか。



人間が人間として進歩したのか、進歩しているのか。人間の進歩とはもちろん内面、精神面のことである。残念ながら人間の精神や意識の進化・向上も無く、人間自ら成長し進歩する意思も、努力も皆無と言えよう。



人類は誰一人として、本当の(真の)努力をしていない。皆「苦労して、苦労して、一生懸命努力して人生を生きている」が「一瞬一瞬を真剣には生きてはいない」。一生懸命努力をして、自分の描いた目標や夢を実現させ、結果は出せるであろうが、それは真の結果とは言い難い。「一生懸命」と「真剣」には天と地ほどの差がある。



一生懸命に努力をしている人は大勢いるが、その人の目標や夢の動機に、物欲、名声欲、名誉欲、権力を得るため、高い評価や称賛を浴びるためなどの野望、野心、自分が利を得るためのものであり、そのための努力であるならば、それが実現したとしても、その栄光は長くは続かない。それは、泡と消えゆくはかない「富」と「成功」であり「栄光」である。



「動機」「出発点の位置」「優先順位」を間違うと、すべての物事の展開が狂っていく。努力しているつもりでも、すでにその努力の方向が違うのだ。



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人は、何のために自分がこの地球に存在しているのか考えたことがあるだろうか。人間が人間としてどう生きるか、己の存在の意味、目的、存在の価値を真剣に考えたことがあるのだろうか。



人類の一人一人が明確な人生の目的を持ち、目標を正しく設定し、正しい優先順位の下、努力の方向を間違えずに、意志力を持って「真剣に」生きてきたのであれば、私たちは、現在のこの状況下にいるはずがない。



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己の表面を飾る「知識」の習得量の拡大には熱心であるが、内側にあるべき「知性」のかすかな香りすら感じられない人間で溢れているその現実を見渡す時「人類には、輝かく未来の到来は無いであろう」」という確信にも似たものを覚える。



たとえどんなに学問や研究を究めても、どの分野におけるプロフェッショナルでも、最高峰に君臨していても、知識が誰より多く、技術に優れ、有能、優秀と言われても、だからといって、その人間に真の「知性」が備わっているわけでもなく、世間から「一流」のラベルを貼ってもらっても、その人間の「知性」が高いわけではない。むしろ、真の「知性」は見当たらない。あるのは自己顕示欲と優越感。



「知識」があるからといって「知性」があるわけはなく「一流」だから「知性」が高いということにはならない。「知識」で「知性」は磨けない。「知識」で「知性」は高まらない。「知識」と「知性」は完全に別物であり、両者に接点は無い。



世間の言う「一流」とは、マスメディアの商業主義にとって利用価値があり、利用しやすいだけの存在であり、「一流」という響きに弱く、騙されやすい同じレベルの人間たちがもてはやすだけの意味しか持たない。また「一流」の定義もあいまいで、根拠も裏付けも無きに等しく、本物の一流の人間にとっては、何の意味も持たない「一流」である。



この「一流」と言われる人たちの多くは、己の損得を第一優先にしているので、そのためには、中身がなくても中身のあるふりをして自分を大きく見せる努力を惜しまない。自分の知り得た「知識」と自分が見ている狭い「現実」がすべてであり、そのフィルターを通して得たことだけが「真実」であると本人は思い込んでいる。



そういった人たちが、名を馳せ「本者」や「一流」の顔をして世界中を跋扈(ばっこ)している。こういう人たちが放つ影響力は大きく、人々を惑わせ、誤った方向に導いているのであるが、その事実に気づくはずもなく、逆に、称賛し、追従しているのが一般大衆である。






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人類全体の「知性」が低下し、その結果「自分で考える」ということが出来なくなった。考えないから自分で答えを出せないのだ。皆が良いと言えば、そう思い、同じものを選び、同じ行動を取る。何も考えたくないのだ。



扇動されやすく、大局を見極めることが出来ない。世界情勢、政治・経済、社会問題をはじめ、私たちに知らされるどんな情報であっても、ほとんどの人は自らその情報を理解、分析、選別することもなく、その奥にある真実を知ろうともしない。その問題の「原因・結果」は真実なのか、作られた事実なのかを見分けることも出来ず、鵜のみにし騙される。そのたびに一喜一憂し、振り回されていく。



真実はいつも後ろに隠れている。真実は出来事の表面だけでは決してわからない。



人類は、歴史からも、自分たちの経験からも学ぶことが出来なくなり、常に同じことを繰り返しながら人生を生きている。



己を省みることなく、己を高めることもなく人生を送り、意味の無いこと、価値の無いものに反応し、関心を持ち、大騒ぎをする。



己を貶めるだけとは本人は思いもしない、存在意味の無いもの、価値の無いものに、最高の意味と価値があると思い込み、お金と貴重な時間を惜しげもなく喜んでふんだんに使う。自分にとって何よりも大事であり、大切であり、生きがいとなり、その取得や達成が第一の目的となり、そういったもので自分を囲んで自分を守る。



人間としての成長を止め、自分たちを堕落させるとは考えもしないものが、自分たちにとっては最高であり、素晴らしく、美しく、見え、聞こえ、感じるのである。その時にその時の感情が満足さえすれば、その時は幸せなのである。



心の羅針盤を失ってしまった人々。生きることの明確な目的・目標の設定が出来ない人々。自分の努力の方向がわからない人々。心の中はいつも不安であり、本当の自信が無い。それを打ち消すためにも、自己防御、自己弁護を繰り返し、生き方が刹那的になっていく。一時の感情の満足を求める生き方しか出来なくなる。自分を騙し、自分を誤魔化し、表面を取り繕う。



意味のないものに時間を使い、一生を使って人生を終わる人間ばかりである。「意味のないもの」が「どれだけ意味のないものであるか」人類はそれがわからなかった。



娯楽の類、いわゆるスポーツ、映画、TV番組、イベント、音楽、コンサート、ゲーム、行楽などを、人間の人生において経験するための「一通過点」として捉えていくのであれば、その存在の意味はある。また、内容、質によっては有益なものであるが、問題は、その娯楽の類のものを人生の優先順位の第一番目に位置づけ、その内容、質に目を向けることなく、それ自体にどっぷりと浸かってしまっていること。一生をそのためだけに生きている。「人生を楽しむ」 「楽しむために人生がある」 「もっと人生を楽しまなくては」 が目的となり、人間の方が、そういった類のものに隷属しているかのような人生になっていることが問題なのである。



人類は「遊ぶこと」しか頭にない。娯楽の類にしか関心がない。生きる(意識の成長を希求する)ことの本当の意味を知ろうとも理解しようともしない。本能のままに生きることが楽しいのだ。言い方を変えれば「子供から大人に成長したくない。いつまでも子供のままでいたい。」ということなのである。



今、自分が好きで楽しんでいるものや、一生懸命にやっていること、選んでいるものが、本当に意味のあるものなのか、それをまず自問自答することである。そこに気づき、知り、真に理解できた時、そこが本当の人生の出発点となる。 (自分さえよければいいのだという人、今のままでいいという人、結果において、己の人生に責任を取りたくない人には、この文章は必要ありません。)



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物質文明の発展の下でわが世の春を謳歌してきた人類は、本当はお金も含め、「物質」というものの本質は知らない。物質そのものを真に理解はしていない。しかし、物質に対する無知さから、物質に重きを置きすぎたが故に、物質を求めすぎて、人間の方が物質欲、物質的、即物的、物質主義に陥るのであって、物質そのものは何も悪くない。物質に罪は無い。人間の物質に対する捉え方、考え方、扱い方、活かし方が間違っていたのだ。



物質、感情の満足のための物質生活を優先してきた結果、今や俗物の極みとなっている人間の多くは、人生における己の行く道を間違え、自ら袋小路に迷い込むが如く、その道を進んでいるのである。



宇宙全体がバランスで保たれているのであれば、私たち人間の世界においても、このアンバランスの状態が長く続くはずもなく、ありとあらゆるものが崩れていくのは必然であり、現在が、正に今が、その結果の始まりである。それでも人類は目が覚めない。それでも、人類は遊びたい。



このままその生き方を続けていけば、自分たちの未来がどういう未来になるのか、どういう未来が待っているのか、考えもしなければ思いもしないのであろう。結果が出てしまっても、人類は何も変わらないのである。生き方を変えないということは、自分たちの末路がどうなっても構わない、ということである。



今、人類の一人一人が「希望」か「困難」かの選択を迫られている。生き方を変えれば「希望」が、生き方を変えなければ「困難」がその人を待っている。





知 性・叡 智


己のDNAの中に、己の意識の成長のためのすべてがある。人間が行くべき、そしてたどり着くべき道を知ることが出来る。

1. 知 性

「思考力」「理解力」「判断力」に優れた能力

(1) 己のDNAを真に理解する能力

(2) 人類のDNAを見極める能力

(3) 現実を直視し、物事の「本質」を見極める能力

(4) 建設的にものを考える能力

(5) 論理的思考と現実的思考の正しい使い分けが出来る能力

(6) 「真実」を知り「真実」を理解する能力

(7) 物事の全体像(大局)を見ることで解決する能力

(8) 出来事の「本当の理由」を見抜く能力

(9) 己の発する言葉が結果に結びつくものか瞬時に判断する能力

(10) 「人間性」を見抜く能力

(11) 「善」と「悪」が存在する理由と両者の「役割(働き)」を理解する能力

(12) 「美」と「醜」が存在する意味を理解する能力

(13) 「本者」と「偽者」を正確に区別できる能力

(14) 自分の意識の成長にとって、それが必要であるか、必要でないかを見極める能力


「知性」にも無限に段階がある。どこまで己の「知性」を高めていけるか、どこまで成長していけるか、その努力の中に真の喜びがあり、その喜びに終りはない。



2. 叡 智

高め上げた「知性」を通して、永遠に拡大し続ける「宇宙の真実」と「終わりのない完成」の片鱗を垣間見ることを可能とする能力



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私たちの前には、「成長していくか」「何もせずに停滞・後退していくか」の二つの道しか無い。

人生は一瞬一瞬の連続から成り立っており、その一瞬一瞬の中に「成長のための道」と「停滞・退歩の道」の二つの選択肢が存在し、人間は常にそのどちらかを選択をしながら生きている。

意識の進化・向上を願う人は、自分の成長に生かすべく選択を瞬時に決定することが出来、その選択の積み重ねが現在の自分、未来の自分を作り出すことを理解している。

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意識を高め、進化させる − それはあらゆるものに存在する真実に目覚めることを可能にするでしょう。 私たちが意識を変え高めることが出来れば、本当の、真の優先順位を知り、どんな問題でも解決する方法を見つけることが出来るでしょう。この「無秩序な世界」を「秩序ある世界」に変えることが出来るでしょう。



Updated on 19th Aprl, 2021

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代表 須佐 章子

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